最優秀賞 『大切な事』
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アシックスアパレル工業株式会社 劉 暁燕(技能実習生) |
「大切」という言葉から、私はいつも二つの事を思い出します。
一つは母親の事です。私にとって、一番大切な人は母親です。いつも、悲しい時や、失敗した時、励ましてくれたり元気づけてくれたり、私に生きていく事を教えてくれます。
私は十五歳の時、大好きな父親を亡くしました。その時は、まるで世界の終わりが来た様な気分でした。母は悲しい悲しい顔でした。でも、その中にも強さがあり、子供の私を必死で守っていこうとする、美しい顔もありました。体が弱い母ですが、私が他の子と同じ様に学校で勉強できるように、そして、家計を支える為に、毎日一生懸命仕事をしていました。私はあの時の事を思うと、いまでも胸がいっぱいになります。
日本に来る前、近所の人達は母にこう言いました。「娘さんが日本に行ったら、あなたは一人で寂しくなるよ。行かない方が良いでしょう?」と。しかし、母は「私は家に一人でも大丈夫ですよ。娘は自分の夢を持って、日本に行き、見聞を広めたり、礼儀や、文化を学んだりできるのだから。これは娘にとって、とてもいいチャンスで、絶対に反対はできない」と近所の人達に確固な表情で言っていました。そんな母の期待と励ましの言葉を聞くと、生きていく希望が持てます。
しかし、この前、叔父さんから「母が病気になった」と連絡が来ました。首のリンパ線の所に腫瘍があったのです。実は、去年の十一月からこの病気に病んでいました。私が心配すると思ってか。母は私と叔父に病気のことを言わないのです。医者は、「もし手術をしたら、腫瘍が転移するのを防ぐことができるが、その成功率に確信を持てないので、今は手術をせず、漢方薬で治療しながら様子をみていく」と言いました。そして、今現在、腫瘍は前より小さくなったと聞きました。母は、病気になった今も、一人で生活する日々をおくっています。母が世話を必要としていることが目に浮がぶ様にわかるのですが、私は今日本にいて、母の側にいてあげることができません。どうすればいいのかさえもわかりません。日本には後一年半いるのです。母が早く元気になるようにと一心に祈って、それをバネに残りの一年半を精一杯頑張って行きます。そして、来年中国に帰った時、元気な母の姿が絶対に見れる様に…私は信じて頑張ります。
「大切」という言葉のもう一つは、世界友好平和の事です。私にとって、一番美しい言葉は友好平和です。
おととし、イラク戦争が発生しました。この戦争で沢山の人が亡くなりました。戦争の時は、食べ物はないし、安全な所で寝る事もできない。特に、子供達は苦難を受ける。子供にとって、本当に残酷な事だ。また、去年のインド洋の津波や、日本の阪神大震災などの自然災害で亡くなった人が沢山います。これら自然災害は解決するのは無理ですが、戦争は、一人一人の知恵を出して、解決できると思います。
私は道を歩いていて空を見上げ、照りつける太陽を眩しげに仰ぐのが好きです。あの輝きを見る度に思います。この太陽はさっきまで太平洋を照らしだし、これからユーラシア大陸に恵みを与えていく。本当に世界中の全ての人々に分け隔てなく光照らすという大仕事を毎日黙々とこなしているのです。太陽は世界の全ての人々に分け隔てなく、国籍や種族を問わず、照らしてくれる。世界友好平和の為に、未来の美しい日々の為に、私は努力して、役に立ちたいと思います。
この以上の二つの事をいつまでも、大切にしていきたいと思っています!私は頑張ります!
受賞の喜び
8月18日、中国に帰国中の私に先生より電話が来ました。「劉さん、日本語作文コンクールで最優秀賞に選ばれました。おめでとう」と先生が教えてくれました!
本当ですか?思い掛けないですね・・・嬉しい・・・
家に帰って、お母さんに受賞の事を伝えました。お母さんはとても嬉しい顔で「どんな作文ですか」と私に聞きました。私は作文を取って、一句一句をお母さんに通訳して話しました。「子供の私を必死で守って・・・」この一句を通訳している時に、涙がしきりに流れ出ました。目には母の一生懸命に働いている姿が浮かびました・・・・
今回の受賞は私の人生にいい経験になりました。そして、「人生はいろいろ経験があり、希望を捨てないで頑張れば幸せはやって来る」という事をもっと信じます。
いつも、私に支援、指導をして下さった会社の工場長・先生など上司の方々、励まして下さった日本のお父さん・お母さん、世話をして下さった多くの日本人の皆さん、本当にありがとうございます!皆さんのおかげで、私は日本語や、日本の文化、礼儀などいろいろな事を勉強できたことに感謝の気持ちでいっぱいです。これからの人生に大きな財産と励みになりました。
私はこれからも、日中友和の為に、世界友和の為に一生懸命頑張って行きたいと思っています。





